川湯温泉 [東牟婁]
今年は、新宮の御燈祭に行くことができたんですが、休み取れたのが直前でもあり、
その宿泊先を探すも、近場はどこもいっぱい
遠くに宿泊するんだったら、どうせなら今まで行ったことのない所にしよう!と思い、
田辺市本宮町 川湯温泉に宿泊しました。
わたくし、川湯温泉をつい最近まで誤解してまして、川原を掘らないと温泉にありつけないもんだと思っていました。
そうやって入れるのがここの最大の特徴なんですが、そんなことしなくても、普通の内湯もあります。
もちろん、内湯も源泉掛け流し
僕が泊まった所では内湯のドアを開けると、川原に出ることができ、川の湯も気軽にアクセスできました。
・・・ただ、僕が行った日は大雨で川の湯は入れませんでしたけどね・・・
ちなみに、川湯温泉が発見されたのは鎌倉時代だそうです。
昔は河温泉と呼ばれていたそうです。
川湯温泉ってまんまなネーミングやなあって思ってましたが、
昔はもっとまんまですね わかりやすくて良いです。
川湯温泉浄妙堂(と見せかけてこのお堂はお地蔵様がまつられています。浄妙堂はこの奥)
川湯温泉十二薬師如来について(以下、看板の内容を一部引用します)
正式な名称は「浄妙堂 薬師浄瑠璃光如来(たぶん)」で、川湯温泉の守護神であり、神経痛・内臓病等の平癒を祈願し、薬師の温泉とあわせて古くから多くの人々の信仰を集めている。
浄妙堂は、江戸時代に対岸からこの地(温泉街の中間地点にある吊り橋付近)に移されたと伝えられている。
例祭は1月12日に行われる。「揚げ物」と呼ばれる色とりどりの張り子が吊され、例祭当日は神事に始まり、もち投げをする。
「揚げ物」は川湯それぞれの家庭で2~3週間かけて竹と木等で作られる。山間を吹く風に揺られて、地元の願いを引き受け、また観光客の目を楽しませてくれる。
例祭の由来は、如来様が山に里帰りする道案内に、地元の人たちがしめ縄を川に渡し、それに野菜(ダイコン等)をぶらさげたのが始まりだと伝わっている。
浄妙堂には額がかけられている。金龍障禅山という人が宝永元年(1704)に病気平癒を感謝し、浴友である竹田角右衛門という人に依頼し、奉納されたものである。
浄妙堂は享和元年(1801)に再建され、本宮大工、嘉八繁浅の作とされている。
ちょうど「揚げ物」が吊られていました。
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