忘れ去られた寒村 五郷 [有田]
和歌山県有田郡有田川町(旧清水町) 五郷地区
山深い渓谷沿いのわずかな平地に、貼り付くように集落が散在している。
袋小路のような地形のため、この五郷地区に用事でも無い限り、通ることのない道。
そのため、地元有田の人でも、五郷地区を知らない人が多い。
この地区唯一の学校であった五郷小学校が休校になったとき、
初めてこの五郷地区を知り、訪れたことがある。
鄙びた山里で、昭和初期にタイムスリップしたような、懐かしい感じがとても印象的だった。
村の鎮守社、五郷神社。
明治の合祀令前は丹生神社と呼ばれていたらしい。
紀北あたりは丹生神社が多いのだが、ここもそうだったんだ。
丹生=水銀(朱の原料)ということで、丹生神社がある場所は
水銀の産地であったという説があるが、
ここもそうだったんでしょうかね?
まあ、多分八幡神社や稲荷神社と同じような感じだと思いますけど・・・
在りし日の五郷小学校(2003年撮影)
以前に行った五郷小学校はやがて休校から廃校となり、
五郷コミュニティセンターという真新しい建物が建っていた。
駐車場となっている元の運動場が、やけに広く感じた。
五郷神社の前にある滝。
この前を流れるのが有田川の支流である四村川。
滝の前はちょっと淀んでいて、児童の水泳場との看板が立っている。
もちろん、時期的に誰も泳いではいなかったのだが、
たくさんの子供達がここで泳いでいる姿が思い浮かび、
その元気な声が聞こえてきたような気がした。
人の姿を見かけても、ほとんどがお年寄り。
将来この村はどうなっているんだろうか?
熊野古道の中辺路で一番山深いところに、源氏の流れをくむ湯川一族発祥の地があるが、
そこには苔生した石垣と、かろうじて管理されている神社があるだけで、
人が住んでいた形跡を探すのが困難なくらい自然の姿に帰していた。
50年後、五郷の地が湯川の集落みたいになってやしないか・・・本当に心配である。
五郷を調べて言いて ここに来ました。五村という地域との関連を知りたくて。ウィキでは明治22年中原村・川合村・二沢村・北野川村・三瀬川村の区域をもって発足。昭和34年)1月1日 - 清水町に編入。同日五村廃止となっていました。が、地図情報がありません。粟生から橋を渡り
支流に入る辺りには五郷とか川合の標識がありましたが、この支流は四村川なのですか。支流を遡り人家が途絶えて山林ばかりになった所に、後に気づいたバショウの実が生っていました。バナナよりも小ぶりで青い房でしたが初めて目にするモノだったのでバナナだ。食べられると喜んで持ち帰りましたが事実を知ってがっかりでした。後に聞いた話では熟れ寿司は暖竹で包むのですが山間では育たないので代替品にバショウを植えているのだとか。こちらを見つめているカモシカにも出会いました。
by といちゃん (2019-01-18 08:51)